
ようやっと、朝晩涼しくなってきたかと思ったらフェイクだったコトにうちひしがれているトモミ・デラックスでございます。
ごきげんよう。ミナサマはこの夏をどのように過ごしていらっしゃいますでしょうか。
本日のテーマは妄想書評。
そもそもは「読んでいない」本の内容をタイトルやあらすじから妄想に発展させてご紹介する筈だったのデスが ←書評として致命的
普通にワタシが楽しんだ本のご紹介になっている気がしないでもアリマセン。
今回も、そんな「読んで楽しんだ」本のご紹介でゴザイマス。
『あの人がいつも色っぽいワケ ~なんか気になる女になる~』
……色気がミジンコクラスのワタシから最も遠い内容の本でゴザイマス。
つまり、常に「女」を意識して生きろと?
書評というか、読後の感想は、思った以上に「女であること」にフォーカスした本だったなーと。
なんせ章立てが
LIP 上唇のふちを盛るとエロスが出る
EYES まぶたを透けさせるとドキッとする
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といったカンジなのだもの。
曰く
色気さえあれば、世界一の美女ともわたりあえる。
何より心を奪い、何度も「会いたい」と思わせるのは、造形の精度ではなく、そのひとを取り巻く空気の色や質感や温度なのだと思う。
のだそうだ。
さらには
誰もが身につけられる魅力ではあるものの、明確に目に見えるものではないからこそ、育てるにはコツがいる。
のだとも。
引用 どちらも前書きから抜粋
この本は、そのコツを紹介する一冊に仕立てられているのデス。
だけど、単なるメイクやファッションのハウツー本だと思ったら大間違いだぜ~。
女を意識すると言うことは、生きることを意識すること
と、明記されていたワケではないのだけど、文章の端々から感じたのがコレ↑
著者の神崎さんは「色っぽい女」というモチーフを通して
自分はどうありたいのか
周囲にどうアプローチしたいのか
周囲からどう見られたいのか
をいつも意識しているんだろうな、と思わされました。
ソレは外ばかりではなく、家庭にいるときも、子どもと接しているときもそうなんだとワタシの妄想が広がる広がる。
ワタシは彼女ほどに「色っぽい女」を意識して生きられないとも感じたのだけど(なんせミジンコレベル)、じゃあ自分はどんな「女」でいたいんだろうとちょっと考えたもの。
……残念なのは、ちょっと考えた挙げ句に、自分に「○○な女」というキャッチフレーズをつけるなら「ちょっと様子のおかしい人」だという結論に達したコトでした。「○○な女」ですらなくなっているという追い打ち!!orz
ワタシの場合、とっても残念な結論に結びついてしまいましたが、生きることや女であることに「色っぽさ」を求めていないとおっしゃるアナタにもオススメの一冊でゴザイマス。
最後にちょっと文章のプロっぽい一言をば
常日頃から、ワタシは「書き言葉でら抜き言葉はアホっぽく見えるので使わないのが一番」と、自分の講座やおしゃべりのトキにも、ことあるごとに言っております。ココでもそんな記事を書いた記憶が……←曖昧
ただし例外があって、キャラ付けのためにあえて使うコトはアリだとも言っておりまして、ワタシもこのブログではたびたびら抜き言葉を使ってオリマス。
言っておく。ワタシがココでら抜き言葉を使うのはわざとデスよ?
ら抜き言葉を使うのはおちゃめなブロガー トモミ・デラックスであって、ライターのワタクシは、決して不用意にそんな言葉は使わないのデスよ?
このことは、努々(ゆめゆめ)お忘れにならぬようお願いイタシマス。
話を『あの人がいつも色っぽいワケ』に戻しましょう。
この本の中の文章には、何カ所から抜き言葉が登場しています。普段のワタシなら「読者からお金をいただいておいて、こんな稚拙な文章しか提供できないなんてあり得ない!」と騒ぐトコロです。
なのですが、神崎さんのら抜き言葉含んだ文章は「色っぽい」のデス。
「オマエ、こんなトコロまでセクシーかっっっっ」と読みながら悶えましたともさっ!
このら抜き言葉が、文章に稚拙な筆者と編集者のやらかしたコトなのか、あえて崩したしどけなさの演出なのか、こぼれ出た色っぽさなのか、本当のトコロはは分からないのだけど、ワタシは色っぽさに悶えたのデシタ。
こんな女性には生まれられなかったけれど、こんな女性には育たなかったけれど、こんな女性を見て、感じるのはとても楽しい。
そんな本でゴザイマシタ。
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