
双子次女の入院生活。
家で待つ長女の発熱。
起こっては困ると思うほど、現実になるもの。
立て続けに問題が起きた入院生活。
今振り返るとたった9日間のこと。
次女の経過がなかなか良くならない
入院するときに1週間ほどで退院と聞いた時は、せいぜい2,3日で退院だろうとたかをくくっていた。
退院の目安は、
酸素吸入がはずせる
点滴がはずせる
自力で食べられる
という感じらしい。
高い熱は初日くらいだったけど、微熱はずるずると4,5日とれず、その間はだるそうにわたしに寄りかかっている時間が多かった。
何と言っても、
RSウィルスの特徴である咳
が聞いていてつらい。
喉の奥に引っかかった何かを吐き出すような咳。
この3か月ほど前に”喘息の気”があると言われていて、そのせいで咳が悪化しやすいかもしれないとのこと。
お医者さんは
もともとRSウィルスの咳は長引きますよ
となぐさめ?てくれる。
熱と咳で眠りが浅く、しかも酸素が薄くて苦しいのか、夜通しよく呻いて泣く。
質の悪い睡眠のせいか、昼寝と夜と自宅では考えられないほど睡眠時間はたくさんとっているけど。
ずっと、抱っこなり身体をくっつけていないと起きてしまう。
食事も全くはかどらない。
いつもなら熱が下がって嘔吐が止まると同時に、餓鬼のようにむさぼり始めるのに。
今回は熱が下がってきてもほとんど食べない。
長女の発症 入院か⁈
次女が体調を崩すと2,3日後に長女が続くことが多いので、次女に付き添って家に帰れなくなってからはそっちが心配になる。
慣れない付き添い生活と仕事のことで頭がいっぱいで、気づくと6日目だった。
今回は長女はうつらなかったのかも!という期待がわき上がっていた時に、保育園から電話。
とうとうきたか。
ばーちゃんに電話すると、同じような反応。
たとえ次女が2,3日で退院出来たとしても、咳が落ち着いて保育園に行けるまで数日かかる。
時間差で長女が発症すれば、下手をしたら1週間ほど2人同時に自宅療養。
そうなると、仕事がヤバくなってくる。
ばーちゃんがかかりつけ医に連れて行き、
まあ、同じ(RSウィルス)でしょうね
と言われ。
長女は次女にくらべ、不調が出たとしても通常は症状が少なめで軽め。
いつも通り、自宅で養生してれば大丈夫と思ってた。
発熱したその翌朝、2時に携帯が鳴る。
長女を救急に受診させに来ているという。
予期してなかったので、寝ぼけた頭で次女を起こさないようにベッドから抜け出し、長女の保険証をかばんから探り出す。
ふらふらと走り、看護師さんへ説明して病室を出る。
下の救急へ行くと、長女が赤い顔でうんうんとうなっている。
入れ替わりに、ばーちゃんが次女の病室へ付き添いに。
すぐに長女と診察室へ。
酸素の状態は悪くないとのこと。
どうしよう。
あわよくば、2人とも同室でわたしがみれないだろうか。
そしたらばーちゃん休めるし…
次女が入院してるんですけど…
と考えながら言うと、そうらしいですね〜と医師も何やら考えながら答える。
気さくな先生で、
ですよね〜社会的入院という感じですよね〜
とすぐ理解を示してくれ、病棟の看護師さんに相談してくれる。
ベッドが2つ入らない。
個室なので当たり前か。
ふた部屋になったら、もう1人付き添いが必要になるから意味がなくなる。
いいのか悪いのか、長女は入院をまぬがれ自宅でばーちゃんとがんばることに。
これで後方支援もなくなった。
何とか長女は軽くすんでほしい。
だって、
“ばーちゃんまで倒れたら…”
これだけは、起こらないでー!
仕事は…
別記事で書いてますが、パワハラ 先輩がいる職場で1年と4か月。
限界を感じ退職を申し出て、ようやく新人さんが入り引き継ぎを始めて1週間の時に、次女が入院。
入院時点では、ちょうど週末と祝日で繁忙期もずれてたので、後で調整できるだろうと考えていたけど…
どうも入院が長引きそうだし、何とか2時間だけでも、ばーちゃんに交代してもらって引き継ぎに行こうとしていた直前に、長女の発熱・保育園早退。
繁忙期や自分の担当の仕事も追い込みに入ってしまう。
考えに考えて、新人さんがわからないところが出てきたら電話と自宅FAXでその都度説明するという方法を提案して納得してもらった。
迷惑をかけて、申し訳ない気持ちでいっぱい。
新人さんはさぞ大変だろう…
慣れない業務に、パワハラ先輩。
この後どうなることやら…
退院してみよう
結局、入院して1週間は小康状態だった。
入院して4,5日経ち微熱もなくなってくると、本人の元来の元気さは出てきた。
ベッドの上で1日静かに遊ぶ分には、辛くはなさそう。
ただ咳がどうにも気になる。
かわるがわる来てくれる看護師さんも、咳を聞くと
まだだな…
という反応で戻っていく。
6,7日目、日中は酸素吸入を外して過ごせるように。
眠ると自力の呼吸が弱くなるので、昼寝や夜間は完全にチューブを外すまで8日かかった。
酸素が外れ、退院が見えてきた。
あとは食事。
おやつは少し食べたり、味噌汁だけは飲んだりしていたけど、食欲が出ず。
何でかなー?
と医師も首をかしげる。
期待を込めて、8日目とりあえず点滴を外してみる。
点滴でお腹は膨れないんだけどね〜
と医師は笑いながら。
その夜、少しだけ自分から進んで食べるようになり、急に明るい兆しが。
夜間の咳も眠れないほどではなくなった。
9日目の朝、やはり食事量は少なめだけど、食べたいものは進んで口を開けるようになったのでひと安心。
自宅に戻れば食べるかもという期待を込めて退院を決定した。
とりあえず自宅で様子をみて、何かあればまたおいでと送り出される。
保育園登園には治癒証明が必要
退院時の迎えには、マスクをしたばーちゃんとまだ咳をして保育園を休んでいる長女、病身のじーちゃん。
めずらしく、ばーちゃんが子どもからうつされていた。
いつもなら、わたしが真っ先に子どもからもらい、最後までしんどい思いをしてるのに。
これまためずらしく入院中もわたしは元気で、退院後も自宅療養の2人をみながら、はつらつと乗りきった。
この後は、保育園に嫌がられるのがわかっているので、咳が落ち着くまで辛抱強く自宅療養。
それから、改めてそれぞれ病院で治癒証明を書いてもらいに行ってからやっと登園。
2歳のRSウィルス感染時に通っていた保育園は、医師の証明はいらず親の判断だけで登園できた。
証明もらうために、長女の近所の病院と車で30分の長女の病院へ…
2人ともそろって保育園に行けるようになったのは、次女が退院してからさらに1週間後だった。
入院中、つくづく思ったこと。
入院するのは確かに色々疲れる。
でも、夜中も含め一日中
熱が下がらない
食べない
咳がひどい
もう一度病院に行こうか
夜中に悪化しないだろうか
家族にうつらないだろうか
と心配し続け、自分の判断の責任の重さに耐えるよりははるかに安心だった。
後方支援があったからこそ、言えることではあるけれど…
わたしにべったりだった長女が、わたしが家にいない間、案外ぐずらずにいられたこと。
いつもは落ち着きのない次女も、思ったより協力的に入院生活を送ったこと。
怪我の功名もある。
2人の成長をみることができた。
一度でいいけど。
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