
ずいぶんと暑くなってまいりましたね。みなさまごきげんよう。トモミ・デラックスでございます。
ご存じの通りワタクシは、フリーランスでライターを営んでおります。
こう申し上げるのは口幅ったくはありますが、コトバのプロでゴザイマス。
コトバのプロといえば、小説家やエッセイスト、ライターを含む文章書き、アナウンサー、俳優や声優なども言葉を使うプロフェッショナルですね。
正しい日本語を使いこなせていてしかるべき人々デス。
とはいえ、我々プロだって人の子。(ワタシに至っては)老化や更年期で言い間違いや勘違いもイタシマス。
大好評のアナタの語彙力チェックシリーズ(評価捏造)、今回は
ワタシ自身が間違えていたものを含めて、テレビやラジオから聞こえてきた「プロもつい間違えたコトバ」を検証することにイタシマショウ。
押しも押されもせぬ
コレ、「押しも押されぬ」だと思っている人いませんか?
実は、ワタシも昔は思ってました。初々しい20代の頃のお話でゴザイマス(トホイ目)
意味は
「どこへ出ても圧倒されることがない。実力があって堂々としている」
意味を間違えて使っている人は少ないと思いますが、「押されぬ」という間違いを何度も耳にします。
「押されもせぬ」と「押されぬ」
ココだけ見れば大きくは違わないけど、慣用句としては知っている人、使う人が多いだけに、間違ったままだと恥ずかしい思いをすることも多いかもしれないデス。
煮詰まる
「この間の会議は議題が煮詰まって大変だったよ~」
なんて使い方していませんか?
本来は、
「この間の会議で議題が煮詰まって、問題解決の糸口が見えてきたよ~\(^O^)/」
ってなるのが「煮詰まる」の正しい使い方なのデス。
おいもの煮っ転がしだって、煮詰めるとおいしくなるでしょ?
話題も議題も煮詰まるのはイイコトなのです!
「詰まる」って響きが行き詰まり感を醸しているからそうなっちゃうのかなァ。
……なんて言いながら、ワタシも昔は間違えてました。えへ。
他力本願
他力本願な人をどう思いますか?
自分で何もしないで他人をあてにする人?
しなきゃいけないコトを誰かがやってくれないかな~って考えて怠けている人?
いやいや。
他力本願な人って、そんなダメな人じゃないデスよ。
むしろとってもとっても信心深いココロのキレイな人デス。
他力本願とは、そもそもは仏教用語です。
1 《他力(阿弥陀仏)の本願の意》仏語。自らの修行の功徳によって悟りを得るのでなく、阿弥陀仏の本願によって救済されること。浄土教の言葉。
2 《誤用が定着したものか》俗に、自分の努力でするのではなく、他人がしてくれることに期待をかけること。人まかせ。
出典:デジタル大辞泉
コレはワタシ、知ってました(ドヤァ)
我が家はというか、ワタシが生まれ育った石川県は浄土真宗の信仰が深い土地。
一向一揆宗が世の権力者と戦った、戦い抜いた土地です。そのあたりを調べてみていた中学生の頃に……って話をすると長くなるので、本当の意味は引用の1をご参照のコトで。
ただ、間違えて使われている意味も「誤用が定着したものか」の註釈付きで辞書に載っているのが、コトバの意味が変わる瞬間に立ち会えてるみたいでちょっとウレシかったりします(≧▽≦)
見切れる
写真を撮ったときや撮ろうとするトキに「見切れてるよ~」って言われたら、フレームに入るように動いたりしますよね。
「見切れてる」は、カラダの一部が入りきっていないという意味で使ってますよね。
コレ、もともとはテレビ業界のコトバです。
もともとは「アナタ、半分しかテレビに映っていませんよ」という意味ではありませんでした。
もともは「映っちゃいけないのに映ってますよ」という意味でした。
つまり、意味としては真逆。
重度のテレビっ子だったワタシは知っていました(ドヤァ2)
カンペを出すADさんなんかが、熱意のあまりカメラの前に乗り出したりしたトキに、タレントさんから「オマエ、見切れてるぞ~」なんてツッコミを入れたりしてたのをしっかりかっちり覚えてました。
だから、フレームに入りきっていないコトを「見切れてる」っていうのはなんか違和感。
テレビ業界でお仕事をしているカメラマンさんも「こんなに真逆の意味が広まっちゃったら、このコトバはもう使えなくなっちゃうかもなぁ」なんてボヤいてました。
さて、今回はここまでデス。
次は何編をやろうかなぁと思案中。
この語彙力シリーズを楽しみにしてくださっている方(がいるとしたら)リクエストがあれば、是非教えてくださいねー\(^O^)/
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